第16話 今からでも遅くはない……     作・小林隆雄
「 “F” のコードはどういうふうに押さえるのですか?」
 またその質問か……。初心者の人からギターを教えてくれと頼まれると、よくそう聞かれる。
「1フレットを人差し指でしっかりと押さえられれば、すぐ弾けるようになりますよ」
 すると、「どうすればしっかりと押さえられるんですか?」と質問してくる。
 とにかく辛抱強く、きれいな音がでるまで練習を繰り返すしかない。それなのに、自分の手は小さいからなどといろんな言い訳が続き、最後には「その楽器は誰の作で、いくらしたんですか」となる。高い楽器を買えばその日から名ギタリスト……とまではいかなくても、そこそこの弾き手になれると思い込んでいるようだ。
 熟練を要する趣味はあまた存在するが、楽器はそのひとつの典型だ。ピアノやバイオリンがそれなりに上手く弾けるようになるには、子供のころから練習を始めなければならない。邦楽の楽器もかなりお稽古を積む必要がある。まあそれに比べたら、ギターは比較的手軽に始められる楽器だ。
 6本の弦を左指で押さえ右指ではじく。これだけの単純な動作でリズム、メロディ、ハーモニーの3つの要素を作り出せるのだ。どこへでも持っていけるという芸当も、ピアノには真似ができまい。クラシック曲の演奏は当然、ジャズやロックなどの演奏にも長けている。教則本やギター教室に頼らなくても、いくつかのコード(和音)の押さえ方をマスターすれば、歌の伴奏もすぐにできるのだ。
 冒頭の「F」というのはそんなコードのひとつなのだが、こいつが初心者にとっては、最初の難関なのである。これで挫折すると永久に上達しない。でもそう言うと、こんな答が返ってきて、絶句することもある。
「でも私はコードは弾きませんから。『禁じられた遊び』みたいな、クラシックが弾きたいんです」
 おいおい、クラシック奏法はさらに高度なテクニックが必要なんだよ……。
 いくら手軽に始められるといっても、ギターの奥の深さは相当なものだし、上手くなるにはそれなりの“執念と努力”が必要なのだ。それは他の楽器と何ら変わりないのである。
    *
 ある夜、夢枕にギターの神様が立った。
「なあ〜おまえ、人にギターを教えているとき、コンチクショウと思ったことはないか?」
 やけにガラの悪い神様だ。
「はい、地道な努力もしないでおいしい部分だけ教えてくれという人には、腹が立ちます」
「それはおまえの自己認識が足らん。おまえだって、ギターのおいしいとこだけ食おうとして30年もたってしまったじゃないか。そのワリにはたいして上手くもなっておらんし、息子にも追い越されてしまっただろう」
「そう言われれば、ごもっとも」
「歯応えのない返事だな。いいか、指が伸びないやつは思いきり指を引っ張ってやれ、手が開かないやつはナイフで指の股裂きをやってやれ、指が動かないやつはライターであぶって早く動かさないと火傷するようにしてやれ」
「そんな乱暴な……」
「ふふん、ギターを弾くというのは、そのくらいデインジャラスでスリリングだってことよ」
    *
 私は翌日から、今まで避けていた難しいテクニックの練習に取り組むようになった。もうトシだからこれ以上は上達できないとあきらめていたのだが、地道なトレーニングを続けているうちに、速いフレーズがすらすら弾けるようになってきたのだった。
 もちろん息子のようなわけにはいかない。若い者の技量はスポンジが水をどんどん吸い込むように進歩していくが、私ほどの年齢になると彼の何倍もの努力を必要とし、ときには腕がパンパンになることもある。だが、今からでも遅くはない、努力さえすれば、それなりに上達していくものなのだ。
 ちょっと、頼むから「イメージ・ストーリーだからって、いい加減なことばかり書くな」なんて思わないでくれ。これまで書いたことはだいたい本当にあったことなんだ。一見すると根性物語か説教話みたいだが、地道な努力を重ねればそれなりの結果が返ってくる、そう言いたいだけなんだけどね。

 (月報司法書士 1997年11月号掲載)
  ひとくちメモ
「今からでも遅くはない」……、このフレーズは案外気に入っているのです。怒ったり嘆いたり、不条理に落ち込んだり、なかなか晴れ晴れとするニュースに接しないこの頃でも、この言葉を唱えるとちょっとだけ希望が湧いてきます。
 日本の少子高齢化は止まるところを知らず、巷には、「子どもを産まずに社会的責任を果たさない女性は……」とか「女性には産まない自由も……」とか、それぞれ手前勝手で次元の低い話が飛び交ったりしています。これじゃ子どもたちが可愛そうじゃありませんか。人には様々な事情があるにせよ、子どもは望まれてこの世に生を受け愛されて成長していく、それが一番大事なことじゃないのでしょうか。その辺が忘れられ置き去りにされていく社会は、「経済的に繁栄している」「自己実現が可能な社会」などといっても、さほどたいしたものではなく、未だ生まれてこない子どもたちに敬遠されて衰退の一途を辿っても仕方がないと考えてしまいます。
 ですから、今からでも遅くはないから、もう一度私たちの社会の在りようを考えてみようではありませんか。
 日本では間もなく「人口減少」が始まるといいます。ショッキングなニュースでした。もっとも世界全体では人口がますます増大していくわけですから、日本人ぐらいは減っていっても、地球規模で見ればちょうど良くなるのかも知れませんが……。そんなシニカルな考え方に同意してくださる方でも、「今からでも遅くはない!」と、せめてご自身のこれから先(老後)のためだけでいいから、何かの努力を始められることをお勧めしたいです。