第13話 アリとアリスとリス     作・小林隆雄
 アリの行列は、アリスの凝視を無視して、虫の死骸をどんどん市街地に運んでいきました。
「どうして、みなさんはそんなに休みなく虫の死骸を運んでいるの?」
 アリの行列はいっときも動きをやめませんでしたが、1匹の大きなアリが答えました。
「ぼくたちも、はっきりと自覚していないのですが、やむにやまれぬ情動というものに、深く付き動かされているというわけなのです」
「まあ、一種の強迫観念というものなのね」
 アリスは身震いして、アリに同情しました。
「心配してくれてありがとう。でもぼくたちの女王には、氏族の未来を見通す力があるようです。この食料で、大きな雪の球が天空から落ちてくる間もぼくたちの命を永らえさせ、命が尽きた後には、食べ残した殻に魂を乗せて黄泉の川に浮かべてくれることでしょう」
 アリスが感動していると、背後でエヘン、エヘンという咳払いが聞こえました。
「あいつらは土中の教条主義者だ。組織至上主義者だ。すべての幸福はこの一瞬の草原の輝きと、お天道さまのもとの自由にある!」
 アリスが振り返ると、頬ぺたを丸々と膨らませてモグモグしているリスがいました。
「リスさんはまるで、キリギリスのようなことを言うのね」
「ヘッ! キリギリスの奴らは刹那的享楽主義者だ。おれはもっと現実感覚に優れているのさ。見ていろ」
 リスは両手に抱えたドングリを放り出すと地面に穴を掘り始め、1個ずつ埋めました。最後に頬袋からペッとドングリを吐き出し、形のまともなものを選んで丁寧に埋めました。
「こうしておけば冬に掘り出して、たらふく食えるというわけだ」
 リスの知恵にちょっとだけ感心したアリスの目も、ドングリのように丸くなりました。
「でも、これから草が生い茂って、枯れて、その上に雪が降り積もって……そのときリスさんには、どこに埋めたかわかるんですか?」
「鋭い指摘だ。おまえはなかなか頭がいい。そいつが悩みなんだ。今までにほとんど掘り返せたためしがない」
 リスは威張って答えた。
「それなら、アリさんの『アリの塔』のような貯蔵庫を作って貯めればいいのに」
 アリスは棒切れで地面にササッと図面を描きました。
「間抜けな指摘だ。大きなお世話だ。おまえはいくつだ?」
「7歳と6か月」
「7歳と6か月だとな! 落ち着きの悪い年だ。おれに言わせるなら『7つでやめておけ』というところだ」
 アリスは腹が立ちました。
「ひとは大きくなるのをやめるわけにはいかないんです」
 アリスは無礼なリスを無視して、虫を運ぶアリの行列について市街地に入っていきました。 市街地と草原の境界の土壁に穿たれた穴をくぐるとき、アリスはリスの方を振り返ってみました。リスは粘土をこね始め、何やらせっせと作り始めていました。それを見たアリスは、いつものように何か暗唱しようとしましたが、良い文句が浮かばないので、口から出まかせを呟きました。
 「話じゃ腹は満たされぬ それでも言わなきゃ始まらぬ」

 (月報司法書士 1996年6月号掲載)
  ひとくちメモ
 最近の年金に関する話題は暗い話ばかりですが、それは主に、『少子高齢化』と『日本の経済状況』に起因しているようです。
 ところで、少子高齢化については世間では漠然としたイメージで語られることが多いので、少し具体的にまとめてみましょう。

 厚生労働省の政策研究機関である国立社会保障・人口問題研究所の予測データによると、
●日本の人口は2006年にピークに達し、その後は減少が始まる。2050年には現在より2600万人ほど減少する(およそ1億60万人)。
●65歳以上の老年人口は、団塊の世代……昭和22〜24年生まれの世代……が65歳以上の年齢層に入りきるまで=2013年まで、急速な増加を続ける。その後は緩やかな増加となり、第2次ベビーブーム世代が65歳以上になる2043年に、ピークに達する(およそ3600万人)。
●現在減少中の0〜14歳の人口は、緩やかな減少を続ける。2003年には1700万人台に、2016年には1600万人を割り込み、2050年には1000万人台にまで減少する(およそ1080万人)。
●15歳〜64歳の生産年齢人口は1995年をピークに減少し始め、2050年にはピーク時の6割程度まで減少する(およそ5400万人)。
 ……とされています。簡単に言うと、日本の人口は間もなく減り始めるが、それは子供がますます少なくなるためで、高齢者はあと40年は増え続ける、ということです。

 もし、いきなり出生率が急激に伸びたと仮定しても、新生児が若者〜働き盛りに達するには数十年の歳月を要します。ですからこの人口のバランスの問題は、一朝一夕に解決できることではありません。世代間扶養の年金制度のあり方が論議されるのは、上記の予測のように極めて長期的かつ改善困難な問題があるからです。
 しかし経済状況は、人口問題と無関係ではないにせよ、本質的に別の問題です。このまま低迷を続けるかも知れないし急激に好転するかも知れません。ですからこの2つをひとまとめにして論じるのは適切ではないと考えます。
 人口問題が難題であるからこそ、当面の経済状況が悪くてもできる範囲の自助努力を続ける、ということは、とても大切だと思います。「備えあれば憂いなし」という紋切り型口上を述べるつもりはありませんが、「備えておけば、リスクは少しでも回避できる」と言えるのではないでしょうか。
 ところでこのストーリーは、『アリス』へのオマージュとして書いたつもりだったのですが、もしパロディのようになってしまったとしたら、ドッジス先生(『アリス』の作者ルイス・キャロル氏の本名)ごめんなさい。