平成31年・令和元年(2019年)

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「津波てんでんこ」 に学ぶ。(2019年1月号から3月号まで)
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司法書士の年金事情小史(2019年4月号から6月号まで)
国民年金基金は間違いなく老後資金(2019年7月号から9月号まで)
セーフティーネット、国民年金基金(2019年10月号から12月号まで)
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(2019年1月号から3月号まで掲載)
「津波てんでんこ」 に学ぶ。
   あのつらい大災害からまもなく8年。
 東日本大震災から8年。あのとき、岩手県釜石市の沿岸部のある中学校では、生徒たちは「津波が来るぞ!」と叫びながら自発的に高台に向かって走り出しました。それを聞いた隣接の小学校の児童たちも、これまで避難訓練をしていた裏山の高台に一斉に走りました。避難した数分後、津波がみんなの足元近くまで押し寄せ、自分たちの学校が津波にのみ込まれていくのを目にしたそうです。子供たちは地震が起きてすぐに、大人の指示がある前に「津波が来るぞ、逃げるぞ!」とまわりに大声で知らせながら、小さな児童やお年寄りの手を引き、幼児のベビーカーを押しながら走り続け、全員が命拾いをすることができたというのです。
 これには、「それまでの8年間に及ぶ釜石市の防災教育と避難訓練の積み重ねがあり、指導を続けてきた片田敏孝先生(当時群大教授)は「大きな地震が起きたら、とにかく早く、自分の判断でできるだけ高いところへ逃げろ」と教えてきました。それが「津波てんでんこ」。この言葉が“奇跡”を呼び起こしたのです。
 
   国民年金基金の合併と、独立基金。
 
 国民年金基金制度は発足から28年を経て、今年4月から全国47都道府県の地域型基金と22の職能型基金が合併、「全国国民年金基金」となります。ただし、「司法書士国民年金基金」と「歯科医師国民年金基金」「日本弁護士国民年金基金」の3基金は、独立型としてこれまで通り運営されます。
 日本司法書士会連合会では1972年(昭和47年)に司法書士福利厚生共済制度を開始し、十分とはいえないまでも、死亡や廃業の際に給付を行う仕組みの最初の一歩を踏み出しました。1991年の日司連定時総会における司法書士国民年金基金設立の決議には、「司法書士の福利厚生制度の充実」を図ることが盛り込まれ、この精神は今日まで受け継がれています。司法書士国民年金基金の安定的運営と充実は、司法書士の皆さんが一体となっているバロメーターであると言えるでしょう。
 
   自分のためが人のため。
 
 上記の2つの文章には関連がない、むしろ相反する記述のように見えます。でもそうではありません。
 国民年金基金は多くの人々をカバーする、社会的な、公的な制度です。しかし最終的には、加入を自分で決定し掛金を収める努力をするという極めて個人的な行為であり、そこには大きな仕組みの中での“てんでんこ”を感じます。
 「津波てんでんこ」を震災の3年後にネットで調査したら、約70%が知らなかったそうで、さらにそのうちの70%は、賛同しない、利己的、などと答えたそうです。それには絶句し悲しくなりましたが、近頃蔓延し始めた「自分ファースト」や「自国一番」のような身勝手な匂いが感じられたからかも……と思いました。
 その反面、「自己決定」「自助努力」に「自己責任」という言葉を加えて、ある種の社会的、集団的規範のように語られる気配があることには危機感を覚え、世の中の認識、意識のちぐはぐ感に悩まされます。
 国民年金基金はまさしく自助努力の制度ですが、自分ファーストではありません。世の中が大きく変貌し、相互扶助や世代間扶養のような社会保障に多くを委ねることが難しい時代になったとしても、自分のためながら同時に次の世代の負担を少しでも緩和し、また老々介護・看護などがますます長期化していきそうな時代に、家族や身近な人たちへの経済的な思いやりとして役に立つことができると思っています。
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(2019年4月号から6月号まで掲載)
司法書士の年金事情小史
   昭和54年司法書士法が「転換点
 
 司法書士制度は明治5年(1872)、太政官無号達「司法職務定制」の定めにより誕生。代書人・代言人・証書人(現在の司法書士・弁護士・公証人)として近代法律職能の一翼を担うことになりました。……年金に関する記事としては少々前置きが長くなりますが、その後の変遷を簡単に眺めてみることにしましょう。
 大正8年(1919)、「司法代書人法」で、代書人は裁判所の所掌事務を行う司法代書人と一般代書人に分かれ、昭和10年(1935)には名称が司法書士となりました。戦後は司法と法務の分離で登記事件等は裁判所から法務局に移管され、昭和25年(1950)には新憲法の下で新司法書士法が制定されました。
 昭和31年法(1956)では司法書士会が強制会となり、昭和42年法(1967)では日司連と都道府県の司法書士会が法人格を得て、自主活動、自治の飛躍が図られました。
 これらの経過は法制度として上から与えられたものではなく、司法書士の自主権確立のための運動が一世紀にわたり時に激しく、時に伏流のように、営々と続けられてきた結果でした。
 そして熱気に溢れた全国的な法改正運動が、昭和53年法改正(昭和54年法、1979)でした。
  
   何が年金事情の転換点だったのか ……国試>共済制度>基金設立……
 
 司法書士の“給源”は戦後まで裁判所〜法務局で、司法書士認可はそれぞれの法務局ごとに、在職者、退職者を主な対象として行っていました。しかし戦後の復興から成長の時代、経済状況や社会情勢は激しく変化し、登記事件等の課題も急増しました。それらを背景に昭和31年(1956)、試験問題や考査方法、試験日を統一した「司法書士全国統一試験」が導入され、全国的均質化、充実向上が図られました。実質的に国家試験となった統一試験は門戸を広げ、役所以外の人々や若年の志望者が増加しました。しかし開業認可試験という制度のため、合格しても2年以内に開業しないと認可取り消しとなり、開業しても2年以上休業すると認可取り消しに……という惧れから挑戦を躊躇する人々もいました。
 それを根本的に改めたのが、昭和54年法の『国家試験制度』でした。試験に合格し司法書士となる安定した国家資格を得、自分の時宜で登録入会する制度は、幅広い世代の参入を後押ししてくれました。
 さて、「認可時代」の方と「国試時代」の方との年金に関する大きな違いは何でしょうか。それは、旧恩給制度、公務員共済年金、厚生年金等の有無、期間の長短です。若年層の参入は“生え抜き”を増加させますが、年金に関しては心もとないものがあるのが現実です。昭和47年(1972)にスタートした日司連の福利厚生共済制度(2002に終了)は、それらの不安を解消させる先駆けとなるものでした。
 そして平成3年(1991)、司法書士国民年金基金が誕生し、基礎年金(国民年金)の2階部分である基金年金によって、厚生年金のような充実した老後の年金を形成するシステムがスタートしたのです。
 
   司法書士国民年金基金は独立型基金です。
 
 ひとつ記憶しておいていただきたいことがあります。
 なんらかの理由でいっとき当基金の加入者でなくなった場合でも、要件を備えていればいつでも司法書士国民年金基金に再加入することができます。奇しくも昭和54年司法書士法40周年の今年、当基金は独立型となりました。司法書士の、従事者の皆さんの人生をサポートしていくために、一層努力します。
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(2019年7月号から9月号まで掲載
国民年金基金は間違いなく老後資金
   今こそシステムや全体像をみんなで考えるとき

  2019年6月は年金が大きく揺さぶられました。年金生活では毎月5.5万円の赤字、老後30年間 (!)では2000万円必要……。金融庁の審議会報告書は投資などで資産形成を促すとし、マスコミは連日この話題を取り上げました。テレビからは「年金はあてにできない」「自分で増やすしかない」などの街の声が流れ、投資セミナーに集まる若年世代の姿が繰り返し放映されました。この動きは6月も下旬になると驚くほど急速に小さくなりましたが、「消えた年金」以来の、しかもあのとき以上の不安と不信感は間違いなく煽られ、世間の意識の中に蒔かれた新たな種が、今後じわじわと発芽してくるのだろうと思います。
 年金不安がかき立てられる要素には、コメンテーター等が何度も口にした「年金原資」もありました。これは自分の年金が老後に足りるか足りないかということではなく、現在の方式が将来も安心なのかという別の課題なのですが、すべて同じ平面で執拗に語られ、年金関係者でも思わずザワザワしてしまいました。
 
 本コーナーでは20年も前から「現役世代が高齢世代を扶養する『世代間扶養』の被用者年金が、不況によって大きな影響を蒙っている……少子高齢化という大きな背景とは別次元の問題だが、複合して悪影響を及ぼすことは避けられない……」と繰り返し訴え、「少子高齢社会の影響は『時間差』で、特に現在の若年世代が歳を重ねるにつれて次第に重くのしかかる。今は見えていない現象が、20年後、30年後には必ず表面に現れてくる」とも記してきました。当時これは自助努力をお勧めするための文章だったのですが、日本の歯止めのない少子化はもはや理想的な世代間扶養の限界点に達していると思います。
 それに対抗する案の一つは「税方式」への比重のかけ方です。基礎年金においてはすでに3分の1から2分の1へと国庫金の比率が増しています。さらに税の比率を高めるには、予算の使い方、直間比率の見直し、優遇税制の見直し、増税による暮らしへの影響など厳しいハードルがたくさんあるでしょうが、今こそみんなで考えなければならないぎりぎりの時期なのではないでしょうか。
 これは政策提言とか案とかいうレベルではありません。アイデア、思いつき、考えられる色々なことを、みんなで言葉にしてみることから始まるのだと考えます。

   国民年金第1号被保険者だけに許される試算

 そこで、今回の事態への対案を探ってみることにしました。金融庁報告書の近似値で年金モデルを仮想し,報告書では2人分なのでこれを「1人分」で算出します。月収入と赤字分を年に換算し2で割ると、年収125.5万円。赤字は33万円。30年では赤字990万円となります(“2000万円不足”は2人世帯分)。
 報告書は65歳・60歳というもはや投資か高齢での労働、手持ちの預貯金以外ほとんど不可能な年齢設定です。しかし報告書は現役期を「長寿化に対応し、長期・積立・分散投資など、少額からでも資産形成の行動を起こす時期」 と明記しており、国民年金基金の本質に合致しているので、試算してみました。
【仮想設定】 20〜40歳=厚生年金、20年; 40〜60歳=国民年金のみ、20年; 65歳から受給
 ①公的年金概算 (厚年20年)54万円、(基礎=国民年金2号20年+1号20年=40年)78万円
   年間受給額 132万円(月額11万円) ★赤字=報告書赤字の例より少なく、年26.5万円
 ②40歳で国民年金基金に加入。1口目+2口目。掛金年額20万8200円(月額1万7350円)
   基金年間受給額 25.3万円(月額2.1万円) ★赤字は年1.2万円まで縮小。
① + ②の受給額=157.3万円。受給額は30年を超えても生存中は支給。終身変わりません。
 ※ 女性は長寿で受給期間が長いため、基金掛金は男性より若干高くなりますが、受給額は同じです。 
 ※ 文字数の関係で今回はシミュレーションの一部しかお伝えできません。10月号以降に改めて詳しく記します。
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(2019年10月号から12月号まで掲載)
セーフティーネット、国民年金基金
  痛みや不安を感じてしまう社会保障だとしたら

  9月20日、政府が「全世代型社会保障」の検討会議を開いたことは報道等でご存知のことと思います。まだ初会合ですから、どう“全世代”なのかわかりません。ただ高齢者が急速に増加し続ける状況下で「会社などで働ける期間を70歳まで延ばし、その分だけ年金を受け取り始める時期を遅らせることが可能な社会づくり(首相あいさつ)」という言葉だけが記憶に残りました。会社などで働ける期間と言っていますから、おそらく厚生年金がらみの話なのですが、これに一億総活躍、人生100年、という言葉を重ね合わせると、ほとんど命ある限り働き続ける人々の情景を思い浮かべてしまいます。
 医療や介護の問題も含めて溢れる数字の羅列に、世間は面食らっているように感じることがあります。テレビから流れる「6万5000円ぽっちの国民年金でどうやって生きていくの!?」などという高齢者の声は、理論や理屈や数字とは無縁の、今現在のリアルな不安・不満です。バラ色風のスローガンの向こうに透けて見える痛みや負担、不安感が漠然と膨らみ、社会の問題に対しては思考が鈍くなり、明るく楽しい話題は娯楽、享楽へと移り、その裏側でかつて予想しなかったような自己中心的な行動等が、じわじわと蔓延し始めているような気がします。格差は金銭面だけではなく人心においても拡大しているようです。

  前回より具体的な「実例」で考えていただこうと…

 さて、そのような状況に挫けずどのように自分の老後を守るかを考ていきます。国民年金基金制度は、国民年金1号被保険者の20歳〜60歳未満の方を対象にしています。この世代の方々は「これっぽっちの年金で」と嘆く実感はまだありません。しかし対処を先延ばしにすれば、そのような事態も起こり得ます。
 ところで、前回のシミュレーションは細か過ぎてわかりにくかったように思い、実例に基づいたお話をすることにしました。あくまで個人の例で細部は省略していますが、参考にしていただけると思います。【実例に基づく話】 ◆夫婦の状況 --- 夫は、16年間の会社勤務。38歳で独立し、フリーの職業の妻とともに自営業の事務所を開設(資格者職業ではないが類似の業種)。
◆夫の年金の状況 --- 16.5年間の厚生年金。60歳まで22年間の国民年金1号(就職前に1年半の未加入期間がある)。40歳で地域型国民年金基金に加入。事情により60歳から国民年金=基礎年金を繰り上げ受給。国民年金基金を65歳から受給。★基礎年金(繰り上げたので30%減額)約52万円。厚生年金(報酬比例部分)約49万円。国民年金基金が約43万円。合計約144万円 *1 。
◆妻の年金の状況 --- 18〜20歳までの厚生年金と企業年金。30代半ばで国民年金基金に加入。未だ65歳に達していないので現在の年金額は厚年+企年で約3万円。かつて国民年金3号被保険者というものがなかった時代、サラリーマンの配偶者として任意加入していない期間が約7年あり、基礎年金が満額の約83%になってしまうので、60歳から国民年金の「任意加入」を選び「付加年金」も併せて納付中。
これにより基礎年金は約96%まで上昇する予定。★間もなく65歳に達すると、 基礎年金が約74万円。
上記の厚金+企年が約3万円。国民年金基金が48万円。合計約125万円(見込) *2
(※妻は夫が死亡したら、併給調整により自身の厚生年金に替えて遺族厚生年金約35万円を受給する)
 
 上記の*1 と*2を合算すると269万円。国のモデル年金265万円(夫187万円+妻78万円)とほとんど同じになっていることに驚きました。いずれどちらか一人になったときでもなんとか暮らしていける額を、さらにどちらも同じような額になることを求め、パズルのような計算を何度も繰り返した結果です。そしてこれは、夫婦とも国民年金1号なので国民年金基金に加入できたことと、妻の国民年金に60歳からの任意加入を加えたという条件があったからなのです。全ての方に当てはまるものではありませんが、ぜひパズルにトライしてみてください。
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